あえて普通の生活をした昨日。
そして、あえて振り返る本日。
去年の今頃は、どのチャンネルを見てもテレビは同じものを映し出していました。
民法のCMはみんな同じ提供になっていました。
そして、店から食料が消え、水が消え、紙類が消え、おむつが消え、電池が消えていきました。
子を持つ近所のお母さんたちは、次々に各地に避難していきました。まだ1歳にも満たない子を抱えて。
そんな中私は、子のお見舞いに行っていました。
震災の前日にRSウイルスで入院していて、お見舞いに行こうと思った時に地震。
病院の壁がひび割れ、余震も考えられるのでお見舞いに行けず。
子と初めて1日以上顔を合せなかったのは、これが初めてです。その後もまだありませんが。
計画停電が始まったり、放射能の問題があったり、食料の問題があったりした頃
子と同じ月齢のお母さんたちは皆どこかに避難していきました。
子のことを考えたら、そうせざるを得なかったのかもしれません。
我が家は逆に、入院していてよかった気がします。
子も親もさみしさはあるのですが、自家発電を持っている病院なので、電気の心配もありません。
大人だけだったら、電気がなくともどうにかなります。寒ければ毛布をかぶればよいだけだし。
そんなこんなでガソリンがなくなり、どこもかしこも大渋滞になっているころ。
我が家の車にはメーター半分ほど残っていました。
子が入院する前に、ふと思い立って給油していました。今でもなぜそのタイミングで給油したかはわかりません。
しかも、入院するとは決まっていなくて、ただの定期診察の前。終わってからでもよかったのに…。
まぁ実際終わってからは入院騒ぎでばたばたして給油どころじゃありませんでしたが。
店にパンがぎっしり並び、ガソリンも行列ができないくらいになったころ、子が退院しました。
実は一度外泊して、ロタウイルスに感染していて再入院していたので、意外と長期入院でした。
将来、子が授業でこの地震のことを学ぶ時が来るんだろうなと思います。
その時には何度でも言おうと思います。
「あんたは入院してたのよ」と。
まだまだ忘れてはいけません。節電。